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だいたいちょろい

二次元三次元ひとっとび

気付いたら担当らしき人が増えていた話。

気付いたときにはもうずっぶずぶの沼の中だった。沼に全身浸かってからやっと「あれ、わたしはまってる・・・?」となるこの恒例の流れ。各方々から「はよ認めろ」と言われるのでもうなんていうか認めなきゃいけないというのもあるし、もう認めてしまいたい。


だめだった。気付いたらもう萩谷慧悟という沼で溺れていた。


そもそも以前ブログで書いたとおり、亀梨和也担として見たいものはすべて見たな、という気持ちが前提としてあった。

choronao.hatenablog.com

だからいつか担降りするだろうと思っていた。
そうなると、次に担当って呼べる子は誰だろう、担当を作りたいという気持ちはあって、それでも亀梨和也以外に担当を作ることに違和感も戸惑いもあった。
10年という期間はそれだけ気持ちを風化させるし、好きになった当初の瞬間最大風速にかなうような気持ちは、もう正直ない。けど、それ以上に、気持ちの基盤として、世界の見方、価値観として、身体に馴染ませてきた「担当」という存在から離れることは正直に言って恐怖だった。
だって世界の見方が変わる。価値観が変わる。身体が条件反射のように彼を探す感覚、視界に入った瞬間からその存在を認識する感覚。どこにいたって遠目だって、姿を見れば一発でわかった。10年の月日で培ったそれらすべてを手放す勇気がなかった。
もう長い間、亀梨和也の姿を認識することに特化された自分の瞳が、別の方向を向いたとき何を映すのか。

 

複雑な感情がある中で、年明けからジュニアの現場に行く機会に恵まれた。
正直今年はジュニアの現場ばっかりでなにしてるんだろうなと思いつつも、これがほんとうにしぬほど楽しかった。
久しぶりに「魅せる」成熟した世界から、「必死」「やる気」という純粋で熱量の多い世界に戻ったのが、これほどまでに新鮮だとは思わなかった。

そうしていくつか現場を見るうちに、あの子もいいな、あの子もいいな、とどんどんDD化していく。
結局担当としては降りないままに、推しだけ増えていくのかなと思っていた。

 

でも結局、やっぱりわたしの場合、DDするにも基盤になる絶対の指標となる存在が必要なんだなってどこかで思っていた。

担当ってわたしにとってはコンパスの針なのかもしれない。だって担当がそこにいるから、そこを指し示すから、そこを向いて走ろうと思う。どこかへ遠出していても、そこに戻ってこようと思う。
そして、わたしはそのコンパスという明確な矢印がなければどっちを向けばいいのかわからなくて、走れなくなってしまう。自分の気持ちが迷子になってしまう。あれもこれもと欲張りたいけど、自分の居場所が、戻る場所がわからないなら、ここから動けない。
もちろん世の中にはコンパスなんてなくてもへっちゃらに歩ける人がいるのも知っているけど、自分はそうではなかった。
コンパスが風化して磁力を失い始めたときに、次のコンパスを手に入れないままでは、DDという浮遊層としてもまともに歩けそうになかった。

 

結局のところ、パフォーマンス厨はパフォーマンス厨でしかなく、亀梨和也にパフォーマンスで落ちたなら、萩谷慧悟に落ちたのもパフォーマンスだった。

結局のところあのガムシャラvol9がすべての元凶だ。

僕はvampireのあの瞬間から萩谷さんに心抜き取られていた。唇を拭うように手を沿わせた萩谷さんの色気でわたしは一度心臓を抜かれた。あの日きっとわたしは一度しんだ。
そのあと萩安の動画をあさっているけど、結局見てるのは萩谷さんだった。狂ったようにキスウマイ再生したし、狂ったように運命girl見たし、少クラ僕はvampireもしぬほどみた*1
最初どこぞで見た安井さんの新聞記事読んで安井さん推せるな~と思って、萩安というシンメを教えてもらって覚えて、安井さんの比重高めだったのがあっという間にひっくり返って萩谷さんしかみえなくなっていた。

 

諦めの悪いわたしが敗北の旗を振ったのは、今週のガムシャラを何十回も繰り返しリピートして見てたとき。

萩谷さんのドラムソロがあることが発表されて、これ以上ないっていうくらい混乱したしテンション上がる自分がいた。

そして、意欲満々でパフォーマンスバトルに向き合う萩谷さんが困っちゃうくらいまぶしくて、かっこよくて、そんな萩谷さんのことを、この夏かけてちゃんと見つめてみたいっておもった。

正直に言って、ジュニア担のデビューするしない論争に自分が深く関わることになるとおもっていなかったし、そんなに精神強くない。たぶんこれからいろんなことで落ち込んだり不安になったりするかもしれないけど、それでもいま萩谷さんを見ておかなくて、後悔するほうがいやだ。

 

よく亀梨和也に対して「うちの子」って表現をしていて、これがわたしにとっての担当の呼び方なのかもしれない、とここへきておもう。「うちの子」の対象範囲は自Gまで拡張されることもあるけど、基本的には「うちの子」って呼びたい子が、わたしにとっては担当なんだ。要するに自分の中でいちばん内側に入れておきたいたいせつなひと。萩谷さんのこと「うちの子かわいいでしょ」ってデレデレしたい。もうなにしててもうちの子かわいいって言いたい。心の中で「うちの子」ってすでに呼んでた。つまりはそういうことだ。
萩谷さんがどうみてもかわいい。どの角度からみてもかわいい。なにしててもかわいい。もう萩谷っていう文字列さえもはやかわいい*2。かわいいしかいえない。だから、担当として追いたい。


どちらにしろ亀梨和也担当として一生を終えたなとは思っていたので、こんなのは余生だ。楽しむしかないのなら、萩谷さんを担当と呼んでみたくなった。


とはいえ10年分を振り出しに戻す勇気のなかったわたしはまず、亀梨和也萩谷慧悟でしばらく掛け持ちというところからはじめようと思います。

ちょっとは成長したのかなと思ってる。担当になることを認めようっていう気持ちにはなった。笑

 

 

まずは今年の夏が、あつくて楽しくてまぶしい、二度と忘れられない夏になるといいな

萩谷さん、これからどうぞよろしくね

 

 

*1:完全余談だけど少クラよりガムシャラの方がよかったことない??と生で見た欲目

*2:ガムシャラで羽生田に「萩谷くん」って呼ばれてるのがかわいいって思ったのほんとうに重症だった